Ivy-3

2013.02.17 (Sun)
 アリスは、元を正せば貴族の娘だ。
 しかし、王族の血筋からはもはや遠く離れ、誰にでも「貴族です」、と胸を張って言えるような家系ではなかった。
 ただ、アリスがこのとき嘘をついたのは、そんな家柄を恥じたわけでもなく、ただ純粋に、あんなあるまじき姿を見られてしまったので、それでも貴族の娘か、と思われるのを恥らったからだ。
 しかし、もし彼女の父や母がこのことを聞いたら、アリスはきっと怒鳴られただろう。
 両親は、まだ血筋や家系に未練のある種類の人間で、長子のアリスが女だったことにもいたく失望していた。
 アリスには弟がいたが、弟とはあからさまに違う待遇を受けてきた。
 アリス自身も、貴族の古い気質のことは理解しているつもりだったので、そのことで別に親を恨んだりしたことはなかった。アリスが医者になりたいと言ったとき、両親はしぶしぶであったが承諾した。
 ただし、貴族の男と結婚することを条件として。
 これには、さすがにアリスも辟易してしまった。
 貴族の娘は、親が決めた相手と結婚するのが普通だった。
 だから、アリスが医者になりたいと言った頃には、そろそろ縁談も持ち上がる年頃だった。
 両親が必死になって、金持ちの貴族で、できるだけ身分の高い息子を探していることを、アリスも知っていた。
 貴族の男と結婚すること――、つまり、医学習院で相手の男を品定めしてくること、と言われたとき、アリスは初めて両親に口答えをした。
 自分は医学を学びに行きたいのであって、花婿探しをするつもりはないと。
 すると、アリスの父親は激昂し、アリスを怒鳴りつけて、一週間の外出禁止を言い渡した。
 (それでもアリスは窓から抜け出して、近所の本屋に通っていたが)
 一週間を過ぎても、アリスの父親の腹の虫は治まらなかったので、アリスは仕方なく、花婿の件を「前向きに考えてみる」と言って、医学院行きの許しを得たのだった。
 
 アリスは、いっそ貴族というしがらみから逃れたいとも思っていた。
 だから、アールに貴族の人間かと聞かれたとき、あの嘘がとっさに口をついて出たのかもしれない。
 何にしろ、とにかくあの姿を見られて死ぬほど恥ずかしい思いをしたのは事実だが。
 アールは、それ以上身分や家柄のことに触れようとはしなかったので、アリスはホッとした。
 しかし、彼が分厚い本を次々に片腕に納めていくのを見て、アリスは驚いた。
 「あの、それ、全部借りるんですか?」
 「え?ああ」
 アールはハハハと笑って、アリスを見下ろした。
 「僕の先生は、大そうな読書家でね・・・」
 「あ、先生のなんですか」
 「先生は、ちょっと気難しいし口も悪いし人使いも荒いけど、腕は確かな、いい人だよ」
 安心させるようにアールが微笑んだので、アリスもつられてふふふと笑った。
 「それ、これから先生のところへ運ぶんですよね?」
 本を全て取り終ったのか、梯子を降りてきたアールにアリスが言った。
 「ん?そうだよ?」
 「お手伝いします」
 「いや、いいよ。重いし遠いし・・・」
 アールは慌てた。
 本当に、これらの本は一冊一冊がとてつもない重さなのだ。
 「いいえ、私、今日から西館の隣の下宿に住むことになってるので、大丈夫です。それに、こう見えても力はあるんです」
 アリスはそう言って、百科事典並みの本を2,3冊ひょいひょいと取り上げた。
 「大丈夫?」
 アールは心配そうに言った。
 「はい。もし、先生にお会いできたらご挨拶もしたいし・・・それに、本も取っていただきましたから、お手伝いさせてください」
 アリスが明るく答えたので、アールも安心した。
 「じゃあ、手伝ってもらおうかな」
 
 「助かったよ」
 書庫の通りを二人で歩きながら、アールが言った。
 「はい?」
 「いや、君がいなかったら、その辺から荷車でも借りてこようかと思ってたんだ」
 アールの思いつめたような顔を見ると、どうやら冗談や何かでなく、本気で考えていたらしい。
 アリスはクスクスと笑った。
 しばらく歩いてみて感じたが、確かにこの本は重い。
 「大丈夫?」
 角を曲がるとき、アールは心配そうに尋ねた。
 「はい、ありがとうございます」
 すっかり日が暮れて、医学習院や病棟の窓からは、ランプの柔らかい光が漏れている。
 どこかから、夕食の香りが漂ってきて、二人の鼻をくすぐった。
 「君はどこの出身?」
 「えーと、カルブンクルスの外れの方です」
 アリスはまごつきながら答えた。
 「へえ、じゃあ都で生まれたんだ?」
 「ええ・・・。あの、先輩は?」
 「アールでいい。僕は、クレメンティアの海辺の村で生まれたんだ」
 「海のほうで?うらやましい!」
 アリスは嬉しそうに声を上げた。
 「海がうらやましいの?」
 アールは不思議そうに首を傾げた。
 「ええ、海ってまだ見たことがなくて。海の水ってほんとに塩辛いんですか?」
 大真面目な顔をして、アールにとっては当たり前のことを聞くので、なんだかおかしい。
 笑ってはまずそうなので、彼は何とか笑いをかみ殺した。
 「本当だよ。いつか行ったら、舐めてみるといい。ちょっとだけね」
 「不思議ですねえ。海の水ってどうして塩辛いんでしょう?」
 真面目に答えてやろうかどうしようか、アールは数秒悩んだが、路上講習会を開くには少し難しい内容なので、冗談交じりに言ってみた。
 「大昔、塩を作る為の魔法の石臼をたくさん積んだ船が沈んでしまったんだ。それが、海底で今も塩を作り続けているから、海の水は塩辛いんだって」
 「そうなんですかー、ってからかわないでください!」
 アリスは笑ってアールを見上げてちょっと睨んだ。
 「なんだ、引っかからないのか」
 アールもクスクス笑いながらとぼけて見せた。
 「引っかかりませんよ!子どもじゃないんですから」
 「クレメンティアの海は本当に綺麗だったよ。もし行くなら、西側の海のほうが綺麗だ。北や東は波が荒いから」
 「よくご存知なんですね」
 「僕の生まれのクレメンティアには、一つだけ丘があってね。海に面している。海側は断崖絶壁だから気をつけないといけないけど、その丘の上から見る海は本当に綺麗だった。子どもの頃からよく行っていたよ。父が貿易商の人間で、海の話はいろいろ聞いた」
 「お医者様の家系ではないんですか?」
 珍しい身の上に、アリスは驚いて思わず尋ねた。
 「叔父が、薬師だった。でも、うちの両親はごく普通の一般人だよ」
 「そうですか」
 「院でも珍しくてね、こういう家系の人間は。大体貴族や何かの出身だから。でも君も、さっき貴族じゃないって言ってよね?」
 「え、ええ」
 アリスは慌てて目を逸らしたが、アールはそれに気付かないようだった。
 「嬉しいよ、同じような境遇の人がいて」
 その一言に、アリスはぎゅっと胸を刺す罪悪感に駆られたが、曖昧に微笑んでごまかした。

 しばらく歩いて、通りの外れの古い施療院にたどり着いた。
 昔は、この辺りも栄えていたのだろう。
 今は、辺りにニ、三件の民家と、何件かの酒屋があるだけだった。
 「先生は・・・いないみたいだな」
 二階の窓を見上げてから、アールはアリスを振り返った。、
 「中、見て行く?」
 「いいんですか?」
 アリスは嬉しそうな声を上げた。
 「もちろん。そこ、段差があるから気をつけて」
 僕も慣れるまで何度も転びかけたよ、とアールはブツブツと一人その段差を呪うように見下ろして、自分が先に中に入った。
 ここが施療所、処置室、薬庫、と、アールは一部屋一部屋、アリスを案内していった。
 アリスは薄暗い施療院の中を、アールの後をついて行きながらじっくりと眺めた。
 外見は古くて今にも崩れてきそうな観があったが、中は清潔で整理整頓もされていた。
 「それで、ここが、先生の私室」
 よっこらしょとアールは師の机に本を置いた。
 それから、アリスの腕から運んでもらったものを受け取ってさらに積み上げた。
 「大体、ここで何か読んでるか仕事してるか食事してるか昼寝してるかだから」
 「先生はこちらにお住まいなんですか?」
 この建物内でおそらく一番乱雑な部屋を見回しながら、アリスが尋ねた。
 「いや、先生はこの先の革職通りの角に住んでる。奥さんと小さな娘さんがいるんだ」
 「そうですか」
 「そう。だから、ここの施錠や管理をしてるのはほとんど僕なんだ。僕は離れで寝起きしてるからね」
 「離れがあるんですか?」
 「ああ。昔は病棟だったらしいんだけど、今はもっと新しくて設備のいい施療院がたくさんあるから、ここの病棟は閉鎖になったんだ」
 「じゃあ、ずっと勉強できていいですね」
 「いいような悪いような、だね。気が付くと夜明けだったりするからね」
 苦笑するアールの言葉に、アリスは驚いて目を丸くした。
 
 一通り、施療院の中を案内すると、アールはアリスを下宿の近くまで送ってきた。
 「ありがとう、手伝ってくれて」
 「いいえ、私こそ。送っていただいて」
 「どういたしまして。これから、よろしくね」
 「はい、明日は、よろしくお願いします」
 明日は、とアリスが言うと、アールはおや?と首を傾げた。
 「明日は、って、明日だけじゃないでしょ」
 「あ、そうですね」
 「よろしく。アリシア」
 アールはにこっと笑って、ちょっと手を振ってもと来た道を帰っていった。


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